• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

     こんにちは、しばらくお休みしていました『渓仁会日誌石狩と弓道』を再開致します。弓道から若干それてしまって投稿を止めようと思っていたエピソードを、少し掲載いたします。最終回はそのあとです。

     昭和52年の初夏、弓道用に加工できる竹があるのか靖治と父末吉はタイに現地調査にいきました。

    タイ王室訪問          2023,9,4  

     タイの雨季との境目にタイ王室を訪問しました。とにかく暑い。コンチネンタルホテル最上階貴賓室が用意されていました。インターホーンでお互いが話せるようになっていた。翌日チェンマイに移動し皇太后様を表敬訪問する。高台の離宮は広大で内部は金色、廊下まで多くの謁見者が順番を待っていた。大佐夫妻が私達訪問団を紹介した。

     私は弓道の装束を纏い深々と最敬礼をした。皇太子も同席され若く背の高い方でした。日本とタイランドの友好交流をお願いした。カンチャナブリに向かった。途中戦場にかける橋のクワイ川ホテルに泊まった。昔見た映画のアレックス.ギネスと早川雪舟のやり取り、橋の爆破シーンを思いだした。下流のクワイ川の渡船場で昔の石狩川のように引き船で人.車を対岸に運んでいる。訪問団5名.アーリー夫妻助手のトイさん.ノイさん運転のイチポン少尉護衛の軍人5名総勢15人である。大型の古いトラック2台に分乗した。引き船は2台は重過ぎ、2回に分かれて無事渡河した。

     山道に入ると急に悪路になった。トラックの荷台からは振り落とされないように気を付ける。整備不良の2台が交互に故障しフロントの部品が次々に荷台に上がって来る。修理しながら進むとエンストする。

     夜になると虎が出サソリも毒蛇も出るので車から出ないよう護衛の兵が銃を構えている。到着が大幅に遅れキャンプ地に着いた。

     同行のMさんがお土産用の大きい羊羹を5個族長に贈る。お返しに「葉の付いたヨモギのような枝が5本」我々に贈られた。遅い夕食が出来、地酒で乾杯し午前2時過ぎ就眠する。

     翌朝鳥の鳴き声で目を覚ますと朝から暑い。

    タイの現地調査

     竹を敷いた長テーブルにバナナの皮にチャーハンのような朝飯が盛られている。飲み物は野草のジュ―ス御飯は手で食べる。上部を横に切ったドラム缶の中に10数匹の赤.緑のトカゲが折り重なっている。プレゼントこれも羊羹のお返しらしい。

     朝食後広場で50m離れた位置に板を並1m幅で10㎝間隔の射撃用の的紙を張り付けた。日本を急いで発ったので麻酔矢のテストをしていない。私は用意し試し打ちを始めた。最初の2本は外れ後の3本は命中した。現地の人々は手を叩き足踏み鳴らし褒め囃し少し誇らしく思った。次にイチポン少尉が左腕に自動小銃を乗せ引き金を1発ずつ引いた。5発全てが真ん中の黒点に命中していた。

     この者はベトナム戦争に参加し射撃は4000名の部隊で1番です。更に30mの木の枝にタバコを挟み1発で吹き飛ばした。私は15m離れるとタバコ.木と枝の見分けも出来ない。プロとアマの違いです。3日間ジャングル調査を行う。北に向かった時、相当高い樹上にスパープ夫人が「蘭の花」見つけた。

     イチポンさんはトラックを止め、自動小銃で木の枝の幹に近い処をパン.パン.パン撃ちました暫くすると枝の先から下に落ち始めぶら下がると幹の部分が外れ枝先を上にして落下傘の用に落ちて来た。木の幹に近い部分を7発で打ち抜いたのです。受け止め「花」を手にして片膝をつき両手を捧げ無傷の白い蘭を婦人に捧げた。

     昼食は果物ジュ―スと野菜炒めです。大きい夕顔に似た果物が高い木に沢山ブラ下がっています。トイさんが木に登りそれをゆすって引っ張ります。その内10kg位の大きいのが落下して割れました。完熟で甘い匂いが立ち込めました。手掴みで食べました。10㎝位の袋が何個も詰まりバナナと味売りがミックスした粘りのある果物でした。調査3日目が終わりキャンプ地に戻りました。バナナの葉の上には大量のブロイラーが盛られ地酒で一段と盛り上がりました。鶏肉にしては大きく美味しいと誰かが言いました。

     翌朝ドラム缶の中にトカゲは居ませんでした。

     明日は西に行きたいとお願いしました。何時もイエスと言った大佐が無言のままでした。翌朝も上天気でした。夫人が来て主人が皆さんを守ります。西に向かいますがとても危険です。

     いよいよオランウータンに会えると思いました。草が倒れ微かに車両跡が有ります。2時間を過ぎたころトラックが故障しました。護衛兵が皆で修理を始めました。

     私は車を降り暫く待っていました。時間が掛りそうなので仲間に道を外れないよう真っ直ぐ行くからと言い一人で出発しました。頂上近く樹木が開け青空が見えました。

     更に進むと大きな木の左右に何か動いたような気がしました。弓に矢をつがえ小走りに近づきました。大木の左右から迷彩服を着た兵が自動小銃を小脇に構え飛出て来ました。私は声も出ず立っていました。兵も黙ったままでした。長い時間が過ぎアーリー大佐の声が後ろから響き何か叫んでいます。

     銃口が下ろされ撃たれないと思いました。今迄の人生でこんなに驚いた事は無いと思いましたが二人の兵の方が弓と矢を持ったのが突然出て来て、もっとびっくりしたと思います。タイとビルマの国境だったのです。

     ビルマの自由主義を目指す部族が独立を目指し戦っていたのです。

     ケシを栽培し武器と交換して戦っていると話してくれました。ビルマの国境魔の三角地帯です。私達の通った道はタイランドからの支援ルートでした。国境を越え司令官と面会しました。

     最終情報として貴方達が追っている群れは80匹位、獰猛で犬など数分で殺される「バブーン」です。(オラウータンではありませんでした。)犬が3匹殺されました。貴方達の装備では戦え無いとの事でした。皆で相談しここで調査を断念する事にしました。 麻酔薬は戦いで負傷した兵士の為に分けて欲しいと言われました。全量お上げしました。

     遅い昼食を取り皆さんと別れ同じル-トで国境を戻りました。数年後独立派が勝利し自由圏入りをしたとニュースで見ました。キャンプに戻り明日は帰るのだと酒盛りが続きました。

     高床式の部屋で5人が並び睡ました。突然父が痛いヤラレタと叫びました。一瞬でサソリだと思いロウソクに点火し見ると右肩を押えて居る。皆に原因を確認する為シャツもズボンも1枚ずつ慎重に見て下さい。

     父が背中をロウソクに向けた時にランニングの右側細い部分に頭を上にしてVサインのサソリが尻尾を立てカチカチと臨戦状態でした。動くなと軍用の長い電池の下を持ち身体に当たらないように叩き落としました。父が痛いと叫びました。又刺したのです。2度目です。夜中、助けを呼びにアーリー大佐を探しました。

    「大変です父がサソリに刺されました」

     腕を掴み無理やり連れて戻りました。見るなり先の渡した葉を出す要に言い揉み潰して2カ所に全てを乗せ手で押さえました。父は痛みで悶絶し気を失いました。

     朝高熱で気が付き救急車を呼ぶように指示しました。早朝は途中危険で10時を待ってバンコクに向かいました。クワイ川の渡しを戻り夜にはバンコクに戻りました。

     痛み大分改善していました。

     かつて観た映画でサソリが通り過ぎるまで身動きもし無かった意味が解かりました。

     翌朝パナムロン(自由市場)に行きドリアンを買いました。夜11時私の部屋に集合し新聞紙に包んだ囲みを開きました。

     スプーンを持ち果物ナイフで堅い殻をこじ開けると、黄色の果肉が出て来ました。Mさんがスプ-ンで一口含むと目を白黒させ「腐っている」と叫びトイレに駆け込みました。

     水が流れる音がしても出て来ません。私は新聞でドリアンを包みMさんと入れ替わりにトイレに隔離しました。メイド室をノックし部屋に来るように言いました。見えた時はその階中がドリアンの臭いに満ちていました。指さすと頷いて撤収してくれました。ドリアンはホテル持ち込み禁止でした。お詫びにチップを用意しメイドさんの部屋をノックしました。

     ドリアンを真ん中にスプーン持ったメイドさん達が車座になり別け合っていました。チップを渡すと口々にカップクン(有難う)と言いました。

     バンコクの鰐園に行きました。象もいる、猿や孔雀は放し飼いです。鰐も数多く飼われ人だかりと鰐のショウが行われています。青年が鰐の口を広げ頭を出し入れします。手を離すと鰐は口を閉めます。青年が無事に頭を出すと拍手が起き用意された竹籠に小銭が集まります。傍でワーと大声が揚がり振り返ると肩に金色の大蛇を乗せ走り去る人がいます。

     父です。その後ろを青年が凄い勢いで追い掛けます私も追いかけます。金色の錦蛇は頭と足を引きずり必至に首と胴に巻きついています。100メートル程走ると父は力就き倒れました。追いついた青年は頭と胴を持ち引き引き剥がそうと力一杯。私も胴と尻尾を持ち力一杯。ゼイゼイと肩で息をしている父は恐怖と疲労困憊で倒れたまま。

    青年が入園者に金色錦蛇首かけサービスが起こしたハプニング。父は飛行機がタイランド空港を離陸するまで無口でした。

    帰国し円山動物園Kさんにオランウータンで無く、バブーンでしたと報告すると「タイにはバブーンはい無い」と。

    10数年後アーリー大佐は将軍になり石狩に夫妻で見えるとは思いもよりませんでした。