• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

    町長就任直後のお話です。時期は石狩と弓道⑫の直後です。会議と石狩川洪水。

     昭和55年5月5日石狩町長就任。大荒れの会議

     初議会から傍聴席が満席で入場出来ない方も出た。会議開始前から議員と傍聴席での怒号が飛び交った。助役は行方わからず不在です。所在を確認した結果、奥様より「朝早く札幌に行ったがわからない」でした。

     初会議が開催され、席に就いて議員皆様に頭を深く下げ町政発展のお力添えと、共に力を合わせて町創りをお願いした。早速助役不在は町長の不手際である。どのように責任を取るのかと追及が始まった。

     味方は議員二人だけの議会で職員も固唾を飲むばかり新年度予算も前町長急逝につき初の提案でした。僅かの職員で日程と議案を作成しての提案でしたが大混乱の中、町長未熟の為議案は賛成2反対多数で否決されました。

     議長と副議長が町長室に来て助役に頭を下げたら議会が進む、傍聴席の我々を誹謗するヤジを止めてくださいと申し入れがあった。助役を探し札幌の病院に入院していると解った。奥様に病名と診断書の入った欠勤届を急いで提出するよう話したところ、「議員が付いているので先に助役として受け入れるとの確約文章を下さい。」と言われた。

     後援会長を呼び、辞任して再選挙をしたい。と伝えた。後援会長は「町長の思うように進んでください。」と言った。議長副議長に再選挙をしたいと申し入れると、議会運営委員会が開催され解散再選挙は認められないという結果でした。町長の未熟運営を我々議員、町民の責任にするのは筋が違う。我々議員に議会運営の不手際を認めて謝罪してください。そうすればそれ以上追及しない。

     私は再度後援会長に議会に頭を下げた。「助役も苦しいのでしょう退任してもらい先に進みます。」後援会長「町長の思った通りに進んでください。」

     議会から助役解任は認めないとの結果。助役に三度病名と欠勤届を出してくださいとお願いしましたが、返事のないまま退任しました。

     札幌市長桂市長さんに助役適任者を相談しました。全議会局長さんとお会いしました。人格見識共に優れ柔らかな物腰の心から尊敬できる立派な方でした。助役をお願いすることにし、二人で石狩町の全議員に賛成をお願いしました。殆どの方が賛成しました。頑張ってくださいと激励する方もいました。

     次の会議に前回否決された生活予算案件に加え助役案件を提案しました。生活案件は認められましたが、人事案件は賛成2あとは全員反対で助役不在の町政を一年余り続ける事になりました。

     明大の先輩で北大地理学博士吉崎先生が「札幌サケの会」を応援下さいとの話がありました。

     100万都市道都札幌市豊平川にサケを呼び戻すのは賛成です。札幌市内を流れる豊平川茨戸川に昔から石狩を通ったサケが戻り北大校内にはアイヌ民族のサケの漁場が遺構となり発掘されています。吉崎先生と相談し「矢口高雄氏作のマンガ釣りキチ三平カナダ編」に実名で登場したカナダ太平洋航空極東責任者ジムマレー氏とロンドン.テームス川の事務局長、札幌サケの会のメンバーを石狩本町の青少年会館に招き「第一回世界サケ会議開催」となりました。自然回帰と石狩川を浄化し、きれいな川と海を取り戻すがテーマです。マスコミに大きく取り上げられました。マレー氏はその後何度も石狩町に見えられ町内の全小学校を訪れました。子供たちは長身のマレー叔父さんの両腕にぶら下がり交流が続きました。

     キングサーモン釣りで世界大会の都市とアイヌ交易、水戸光圀公の派遣された快風丸の歴史を持つ石狩町に国際交流部署を設置し担当者に姉妹都市提携を結ぶよう指示しました。

    昭和56年 石狩川大洪水

     8月初旬石狩管内町村長が合同で国へ陳情する案件が生じ千歳空港で合流して雨の降る中、東京に向かった。二日目合同陳情を終え全員で会食する事になりました。案内役の道庁支庁局長から国会議員のS先生が秘書と同席し陳情をお受けすると申し出が有りました。先生は後志支庁.石狩支庁が選挙区ですのわざわざお越し頂けるのは有難い今回の合同陳情書もお渡しします。会食会場に町村長全員が集合しました。

     翌日個々の案件陳情になり朝9時に石狩に電話をしました。総務課長が「雨は町長が出かけた時と変わらず降り続けています。」と私に伝えた。「陳情を終え次第最終便で戻るから各所管の部長を集めて下さい。夜まで雨が止まなければ対策本部を開設します。各部課長迄連携の取れるようにしておいて下さい。」急いで霞が関の所管.衆参議員を廻り最後に開発庁に行き長官秘書に「石狩町長です。石狩新港建設予算でいつもご支援頂いています。大臣に有難うございますとお伝え下さい。石狩川が降雨で増水していますこれから帰ります今後とも宜しくお願いします。」大急ぎで石狩に戻る。

    羽田の最終便に間に合いました。

    これで飛行機が落ちたら運の悪い人で紙面に載るのだろうかと思いました。

    石狩についたのら午後11時半になっていました。雨は益々豪雨になりバケツをひっくり返した状態です。庁舎に入ると各部長.課長が心配そうに待っていました。

    「只今から緊急水害対策本部をスタートします。人命を守る事を第一に職員間の連携情報交換を大事に町民職員の命を守る為ベストをつくして下さい。」そして開発庁に行き北海道の雨の状態をお伝えしました。道庁には副知事に本部の設立と支援をお願いし緊急に真駒内の自衛隊16方面本部に出動要請をお願いします。「災害.水害は何時何が起きるか分かりません。予測出来無い場面でも起きたらそこに居る貴方が落ち着いて一呼吸おいて最善と思う指示行動をして下さい。自分が町長なら如何すると考え行動して下さい。全ての責任は私が取ります。心配しないで人命を守る為に最善を尽くして下さい」公宅に水害対策本部を設立した。庁舎に帰って居るので何方からでも連絡があったら私に連絡下さい。

     雨は益々降り続き止む気配は有りません。

     朝を迎え町内の排水ポンプを持つ土木業者さんに必要に応じて機材の協力をお願いして下さい。地域の事は地区の土木水道など専門家が熟知されています。業界会長役員の応援をお願いして下さい。石狩町全域が降りしきる雨で一つの海になりかけていました。

     石狩川本流ヤウスバのカーブでは激流が堤防を削り始め土嚢積が開始されました。自衛隊が到着し重機で大きい柏を引き抜き太いロープで縛ると根に泥と幹の葉の茂ったままに激流に投入しました。大木は一瞬で濁流に飲まれますが流れの勢いでカーブに到着します上流でロープを押えて居るので削られている場所に張り付きました。

     1本2本と次々に投入されました。本流の最も危険な箇所での決壊を防げたのです。一部の隊員を残し危険区域中生振茨戸川に急行し土嚢積が開始されました。「本流ヤウスバの危険個所が安全になりました。自衛隊の技術は凄いです」現場のO土木課長からの報告です。

     生振現場に自衛隊が到着しました。と無線が入りました。傍にいた水道部長と消防長に生振の現場に行って下さい。と指示「農協組合長に会い地元の組合員に土嚢づくりの協力をお願いして下さい。必ず二人で行動して下さい」二人は生振に向かいました。

     町内各地区に水が溢れ始めポンプと資材の必要が急務となりました。全ての地域に水が危険区域になりました。土砂降りの真夜中午前0時に本町のサイレンが響きました。一瞬本流堤防が決壊したと思い確認の為に外に飛び出しました。庁舎並びの消防本部に行くと担当が押し間違えました。一分の誤作動です。氾濫で無く有難い皆頑張と励まし本部に戻りました。

     5分もすると生振土嚢積現場の森隊長から無線が入りました。「緊急事態が発生しました先程のサイレンで地元生振の人が現場から全て居なくなりました。」

     今暗闇の中自衛隊員260名が残されました。土嚢は3段迄積みましたがもう限界です撤退します、了承して下さい。人命が第一です、了承しました。隊員皆様が暗闇の中です事故に細心の注意を払いながら速やかに撤退して下さい。感謝します。

    5分も経たない内又無線が入りました。

     水道部長からでした。「町長撤退命令を取り消して下さい。森隊長から聞きました今皆が引き上げれば生振は水没します何人犠牲者が出るか分かりません。

    「森隊長は何処ですか?」「ここに居ます」「隊長に言って下さい茨戸川の完成前の放水路の緊急通水を申し入れ話し合っています。生振現場は水道部長に任せます」青少年会館では生振地区住民と漁協組合長役員と放水路を抜くか抜かせ無いとの話し合いと言うより怒号の応酬が続いています。

     所管する開発局は戦後史の中で完成時前の放水路を通水した前例は皆無です。

     その為に事故が発生しても責任は摂れません。魚協は緊急通水はしてはならない。茨戸の汚染対策無しに大量に流れ込むと死の港湾になる。緊急通水は許さない。と終わりのない話し合いが続いた。私は決断し人命救済が第一です通水して下さい。茨戸川生振地区は漏水が始まりました。全ての責任はわたしがとります。通水をお願いします。Y漁協組合長は何も言わなくなりました。暗黙の了解に変わった。

     重機で残っている土砂を取り除いて下さい。掘削が開始されると満水が弾けるように日本海に黒い奔流となり流れ出た。束の間に水位が30センチ下がり緊急通水溝の効果は絶大でした。全長368㎞の大河石狩川流れ出る全ての水を引き受ける石狩町での犠牲者は奇跡的に皆無でした。ご支援下さった皆さんのお陰です。

     自衛隊真駒内16連隊長Mさん隊員皆さん。緊急通水をして町民を救って下さった開発庁石狩川開建皆さん側面から応援下さった北海道庁中川副知事さん皆さん多くの皆さんのご支援で400年に一度の大水害を乗り切ることが出来ました。

     思い出し今でも感謝しています。皆様有難うございます。

     年末議会で町政の不手際と混乱を生じた責任を取り減俸して議会に頭を下げました。歳が変わり1月雪が降り続き町内全駅域が雪に埋没しました。手稲街道は一晩で雪が電線の高さを超えました。吹き溜まりが出来至る所で車が埋まり動けなくなりました。土木関係の重機所有の皆様と商工会幹部にお集まり頂きました。町内を7区域に分割し全企業に重機での除排雪協力をお願いしました。財政は火の車で重機を購入するお金が有りません。皆さんに重機と労働力提供をお願いし参加された町内企業と人員を全て記録し使用した重機のガソリン代だけ毎月お支払します。労働提供は夏場までお借りします。

     雪が融け公共事業に除雪に参加下さった皆様を優先し参加頂きます。除排雪を新港地区も含め町内全区域を午前6:00(吹雪いている時は止むのを待ちます)までに終わらせて下さい。テストケースで準備ができ次第開始します。雪解け迄に町内全域の除雪体制が出来ました。

     財政は全道最下位のまま経過しいつもお金の無い混乱の町でした。新港地域の工業団地造成造成と企業誘致活動に転じました。公共事業は町内企業に切り換えました。新港にカナダからの開港入港第1船ブロンコレーニア号が入港しました小樽市志村市長さんと並んで船長に花束を贈りました。

     景気が上向き出し始めました。

     回帰しなかったサケも再び戻り始めました。議会では相変わらず企業誘致は税金の無駄遣いの意見が主流でした。議案を提出する毎に説明不十分「遺憾です。陳謝します」で切り抜けていました。「イカ.チン町長の誕生」

     6月の定例議会に水害の時命を懸け生振を守った水道部長のFさんを助役に一緒に生振を守った消防長のKさんを収入役にと提案しました。議員2名に事前に伝えたのみで、他の議員には一切知らせずに提案しました。全議員賛成満場一致での承認となりました。

     一期めは減俸と否決13回でした。

     二期目の選挙になりました。1期目と同様新自由クラブ単独推薦です。

     選挙になると子供を親戚に預け遊説に出ます。公宅に戻ると奥さんから長男の小学一年生の太郎が預け先の道路脇路上雪山に上り、通り過ぎる一人一人にお辞儀をして「寺内靖治に清き一票をお願いします!」と言い続けていましたと伝えられた。選挙は今回で終わりにしよう。私も家族も狂っていると思いました。選挙結果は小差でした。

    姉妹都市提携を結んだキャンベルリバー市からも再選のお祝い電報が届いた。