ヤクーツクにモスクワ経由で向かった。アレクセーエフ大臣に会うと「マンモス牙の輸出の件で(株)サルダ―ナ(ユリの花)社長スピリドノフと会って下さい。」と言われた。マンモスの牙の輸出に関しての商談だった。「牙(原木と言う)が可能か否か日本での市場調査をしましょう。」と答えた。気になったので大臣に聞いてみた「ところでマンモスは神様で販売出来ないのでは?」「1万年前に姿をけしました。ワシントン条約も禁止する規則は何も有りません」と言う。その間アレクセーエフ大臣や社長からも鷲飼育の話は一切出ませんでした。
帰国し山梨の弓道高段者で象牙を扱う先生に連絡する。聞くと象牙はバブルの最盛期年間需要10~20トンで進んでいましたが、輸入禁止になり代替えの水牛や人造品で苦戦しています。もしシベリアのマンモスが入れば有難い。マンモスは地中に長く埋まっていますので不良品が多い。そこで、マンモスの牙を輸入するうえで重要な点として〈1良い原木を確保する事。2継続する事。3原産地証明を付ける事〉とアドバイスを頂戴する。私はまたサハに行き(株)サルダ―ナ社内に加工場を用意し、日本弓道に使用するマンモス筈の製作工場も併用し作りました。
丸鋸.旋盤.研磨用水ヤスリ.工具類を札幌で調達してサハに送り1年で印材を輸入出来ました。陽にさらされて脆くなった牙を避け良い品だけで印材を作りました。出来上がり石狩に着いたと山梨に知らせると翌日飛んで来ました。翌年7月から私はマンモスハンター5人のリーダーとして永久凍土の地をカナテコを持ちカチ―ンと牙を探していました。
ヘラジカの角を250組買って欲しいとスピリドノフ社長からの話がありました。昔からの部族に狩猟の許可が出ます。
日本にいる大林マスターに電話し輸入の可否を聞きました。ロシアからの輸入は今迄皆無です。バブルが弾けマンモスと同じように高額で需給が見込めなかったのです。答えは輸入しましょうでした。
通関を小樽税関で済ませました。大林マスターの友人のログハウス併設の倉庫に収納しました。乗用車に入り切れない大きな角も有ります。大林氏が入口に積んだ大きい角が紛失しました。日を於いて又無くなりました。相談し私が警察に届け出パトロールをお願いしました。
暮れも迫り12月の吹雪の夜。こんな夜に犯行が有るではと倉庫から離れた民家の軒下で友人と見張っているとドアがノックされ民家の御主人が何をしている、娘が家にも入れないと苦情が有りました。泥棒を見張っていると事情を話すと、頑張るようにとコーヒーの差し入れが有りました。真夜中に二人組が現れシャッターを懐中電灯で照らし始めた。お前たち何をしていると一喝すると驚いている。私服の警察官で有った。
当該北署の私服警官二名が真冬の吹雪のなか パトロール中に大林氏に誤認逮捕?されるところでした。翌日私は北署を訪ね真面目な二人に御礼のご挨拶に行きました。
今日からパトロールは不用ですと取り下げました。