• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

    ヘラジカの角やマンモスの牙の輸入を行っている間も、アルタイ山脈の鷹匠文化と日本弓道文化の鷲羽根を通しての交流、モンゴル国環境省や農牧局、モンゴル大使館、ジャイカ等の人脈作りを続けた。2000年にモンゴル国がワシントン条約に参加批准した。羽根の輸出証明も農牧局から環境省に変わった。

    ㈱ジャモトーホーとの契約を終わりにしたいとサツラルド社長に連絡した。モンゴル国環境省ボラト副大臣にお目にかかった。カザフ民族出身である。そこでジャイカから出向し、モンゴル環境省にての環境保護、保全計画を作成していたT先生とお会いした。日本と世界の環境保護の為、世界と戦ってきた古武士のような紳士でした。モンゴルで鷲を飼育して日本弓道の矢羽に使用したいとお話しすると全くの無理です、鷲の計画もありません、止めるようにとのことでしたが、何度か環境省に通い交流を重ねると鷲の保護育成活動に理解してくださり、その後T先生が一番の応援者になってくれました。

    最後にモンゴル大学前学長のシャグダール先生にカザフ民族の協力をお願いしました。モンゴル国カザフ少数民族との話し合いも進み、カザフ民族出身のボラト環境省副大臣を会長に、アルタイ山脈自然保護責任者であるアタイ氏を事務局長に、カザフ民族出身でラムサール条約釧路湿原タンチョウ鶴支援に来道したこともあるツバメドグ鳥類学博士を顧問にと役割も決まった。

    2002年2月17日モンゴル国イヌワシ協会設立総会が現地アルタイウルギー州にて関係者一同集まり開始された。モンゴル環境省からボラト副大臣、ダムデン局長、ウルギー州知事、議長、各議員、ジャイカT先生、税関、原産地証明、防疫、貿易地元税担当官等ウルギー議場に会し部会に分かれ討議に入った。

    鷹匠さんは97名参加、経緯を説明し自由発言が始まった。

    「我々カザフ鷹匠遊牧民は長い間、国からも誰からも援助も貰わず歴史を支える文化として今日を迎えた。世の中政治も変わり生活も苦しくなった、何より我々も歳を取った。4000年の鷹匠文化もこれまでと話していた。日本から羽を買いたいと話しがあり、日本弓道に使うと羽を買ってくれた。我々は誇り高きカザフ民族として今後協力したい。」同様の意見が延々と続いた。2名の鷹匠さんから「イヌワシ協会設立も日本に羽を売ることも反対、これはカザフ民族の文化でありこれからも自分たちでやっていくべきだ。」との異議があったが多数の声に消された。

    会議は大変盛り上がった。当初の打合せでは協会設立後、羽根の買取を終わってから鷹匠さん達が入会費を払うとなっていたのが、鷹匠さん達は自ら進んで入会費を会議後すぐに支払った。現金の持ち合わせの無い人は借りてでも支払ってくれた。入会費も当初50トグルクを予定していたが、皆さんで話し合い500トグルクとなった。

    日本弓道文化との羽根を通して友好交流も決まった。2日間に及ぶ設立総会が熱気の中ボラト会長始め誰一人退席者もなく夕方終了した。議場から宿まで直ぐ近い。途中、狐の帽子、カザフ外套を身に着けた数人とすれ違った。イヌワシを腕に乗せた人、手を振る人もいたので道を渡りそばに行くと馬の鞍に大きな麻袋を紐で固定し、空いている手で指差しありがとうと言っている。20㎏の小麦粉である。鷹匠さん一人一人にありがとうと言いながら握手し、姿の見えなくなるまで見送った。日も暮れ急に寒くなったので食堂に行きミルクを注文した。熱いミルクを一口含むと緊張が解けウルギーに来てよかったと思った。別れた鷹匠さんは厳寒の中、数十キロ歩いて帰るのです。シャグダール先生の事も思い出しこれからが大事なのだとわが身に言い聞かせた。

    アルタイ山脈の各ソム(村)でナーダム(収穫祭を兼ねたイヌワシの訓練大会)を行っていましたが、2002年からは持ち回り2か所で鷹匠文化振興のナーダムが開催され現在も続いております。私は毎年欠かさず現地に行き羽集めとナーダムに参加しておりました。現在は次男のお嫁さんのプレブスレンが引き継いで現地に赴いております。毎年2ヵ所のソムに奨励金援助を継続しています。この間イヌワシ飼育の講習を継続し環境破壊、保護育成、殺さない、違反しない、させないCITES添付必須の啓蒙努力に配意しています。