私が当選の日、父が石狩町教育委員を辞任しました。これからは若い人の時代です。議会傍聴に漁師の小保内さんが一人でいつも来ていました。休憩中「寺内こっちさ来い」「昔はなあ、サケもニシンもカレイも沢山穫れた。今は海も川も汚れ時化で網上げが遅れると魚が死んで上がる。川が綺麗になるのは正月の4~5日だけだ。若いんだから何とかせい」
私は、川崎市.富士市.京阪神工業地帯をレンタカーで回った。都市汚水は川に海に垂れ流しです。死んだドブ川と汚れて油の浮いた海何処も汚染されています。日をおいて北九州市.水俣市と各地を巡りました何処も同じです。石狩魚協組合長に会い各地の汚染を見て来ました。石狩川河口の町の一員として上流の都市に綺麗な石狩の流れを取り戻しましょうと御願いに行きたい。同行出来る方を探している。日が決まり3台の車で旭川市、深川市.滝川市と訪問した。一日目終了後、一旦石狩に戻りました。翌日の朝刊に「石狩川漁民抗議に立ち上がる。北海道初の反対運動上流の市に抗議行動」と各紙一面にセンセーショナルな見出しが出ました。私は二日目の出発前に「抗議活動でも反対行動でも有りません。皆さんと昔のような綺麗な水の石狩川を取り戻しましょうとお願いに行くのです。」と説明した。
砂川市.美唄市.江別市とお願いに行きました。江別の王子製紙は、幹部の皆さんが熱心に話を聞き、お見送り下さいました。年が明け北海道の新年度予算で石狩漁協に特別金が配分されました。使い道は漁民の皆さんで決めて良いとの事でした。網も汚れ腐ります分配すると一人10万円受け取れます。殆ど決まりかかった時、小保内爺さんが立ち上がりました。「海を綺麗にすべ。北寄貝を放流せい。俺も金は欲しい、だども焼酎に変わるだけ健康に良くないどうだ」その提案に拍手で決まり、春には苫小牧から購入した稚貝が放流されました。今も春になると北寄貝が獲れ石狩の名物になっています。
小保内爺さん有難うあの時飲めなかった焼酎を今度一緒に飲みましょう。
水俣病の勉強に熊本に行き、海岸道路から綺麗な海と高台の幼稚園を見上げると海が水銀と窒素で汚染されてるとは思えない。鹿児島に行き宮崎に回った。良く晴れた二月初旬ウド神社のお参りを終えた。海岸通りを走行していると、お願いします!とボリュームを上げた車から声が響いた、選挙だと気付きターンして駅前広場に入り邪魔にならないよう少し離れて窓を開けた。土曜日のお昼に候補者が最後のお願いをしている。「政策を訴え私が皆さんに代わって宮崎を観光都市にしたい」「思いやりのある心優しい福祉都市を目指します」「財政の健全化を計ります」等々。最後に皆さんの清き一票をお願いしますと聞こえる。候補者も支援者も必至です。
大変なエネルギーです。4年に一度の選挙は日本中世界中で場所を替え、繰り返されます。民主主義は時間もお金もかかると思います。やがて勝ち負けの答えが出る。勝ち組は万歳。負けた方は疲れ切ってこんなに皆さんが応援してくれたのに申し分別けないと責任を痛感します。
それで終わりではない。
勝った方が気が弛むと次に落ちる。負けた方もその日から努力すれば捲土重来頑張れば次が有る。繰り返すこの膨大なエネルギーの発散、これこそ民主主義の根幹です。こんなに地域向上を願い努力する人々がいる。今期の石狩町議の任期を終えたら次の選挙に出るのは止めよう。
日本弓道の復興発展に力を尽くそうと決めました。今迄の人生の迷いが霧が晴れたように消えました。
演説をお聞きした市議候補四人の当選を願って青島駅前を後にしました。