• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

    石狩町議会議長から私に町長から大事な相談があると呼ばれた。懸案の石狩新港の予算が付いた。議長が長かった今回の機会を逃したら石狩町は永久に港は出来ない、最後のチャンスだ全てうまく運んだ。町長と議長が寺内君了解してくれるな、やっと決まったよと握手した。私も良かったですね。近隣市町村の了解はとったのですか?と問うと、大丈夫だ反対していた市とは話がついた、建設費も人口に応じて負担してくれる。

    「石狩に出来る港に反対して来た隣接市がお金を出してくれるのですか?」「其処なんだ行政区域を変更し、港湾を広く使い皆で建設費を負担しようとの名案が出た。その方が金も少なく済む。」

    「反対して来た隣接市は明治以来の良港を持っています。反対して来たのは今迄の港が影響を受けるからです。行政区域変更してまで港の管理運営権を差し出すのですか?」「石狩人の広い心を見せてやれ俺は賛成だ寺内君頼むぞ。」「検討する時間を下さい。」

    翌日私は札幌市原田与作市長を訪ねた。委員会中で市長応接間に案内され少し待つと面会出来ました。突然の非礼を詫び「石狩新港建設についてご意見を伺いに来ました。良港を持つもう一つの市に石狩の行政区域を割譲する話が出ています。新港は道央圏最大の札幌市が中心となり近隣市町村が参加して北方圏に世界に飛躍できると思います。ご意見をお聞かせください。」「石狩新港が今進んでいることは私も聞いています。石狩町民皆様の考えが大事です。東京市を創った後藤新平は100年200年先を考えて設計しました。石狩も先を見ることが大事です。ところで公宅に行きませんか?」と言われました。公宅は宮の森です。奥様がお待ちしており、和室に通されました。市長さんの着替えのあいだ、欄間に赤文字で「日に三省」毛筆の書が飾ってあります。観ていると和服に着替えた市長さんが良かったらお持ちくださいと書を持たせてくれた。

    「オリンピックが来ます。アクセスが飛躍的に良くなります。」

    夕食を頂き、石狩に帰りました。

    翌年4月の石狩町長選。私は現職に挑戦しました。行政区域変更反対町民の総意で新港を建設しましょう。

    町議は私を除き全員が現職町長応援。私のトラック(選挙カー)には老人小西茂さんが乗ってくれました。現職圧勝寺内惨敗と言われました。私も覚悟は出来ています。最終日、原田市長さんの息子さんが来てトラックの荷台から書をはらりと下げました。横から見ると「日暮れて道遠し、、、、、」後は見えません。「三月で市長を退任した父が贐(はなむけ)に今朝書きました。」

    その日の夜市長さんの自宅にお礼の電話をすると息子さんが出て「父は今朝起きて沐浴すると寺内さんに贐に書きました。」

    「私は結果は大差と解っています。市長様に申し訳ありませんとお伝えください。」

    「父はどんな結果に終わっても立派な票ですと言ってました。」

    開票すると4割の得票でした。

    これで私の役割は終わった。弓道普及に頑張ろうと思った。

    後年、中国の書を読んでいると「日暮れて道遠し、、、、、」が出てきました。まさに激励の言葉でした。

    トラックの上で横から書を見て私の落選を知っていると思った自身の浅学を恥じました。初対面で「日に三省」の書を下さった原田市長の書と思いを実践すれば違った人生があったと思います