有難く得難い友人Kさん
祖先が岩国市出身のKさんは私の一歳年上、若い時に上京し印刷技術を修得し、石狩町樽川地区に戻りました。私が町議を一期で止め、町長選に出馬の為花川に居を借りて準備をしていると作業服を着たKさんが訪ねてきました。私たちは石狩を変えようと意気投合しました。
その後私の町長選落選、新町長誕生、私の町長選出馬当選と関わってくれました。私が事件を起こし町長を辞職した時Kさんは夜通し泣き続けました。
同級生のUさんはいつも私より弁舌さわやかで説得力がありました。私が明大に入り上京時、東京に連れて行けと一緒に世田谷の下宿の三畳間で夜中人生を語り話続けました。その後自動車整備の技術を修得し、石狩八幡町に修理工場を建てました。祖先が山口県のKさんとUさんの二人は友人仲間になり、町創りに応援下さいました。私が事件を起こした時、Uさんは俺も靖治を放っておいて悪かったと涙をポロリと落とした。Kさんは私に「ロシアとの留学、サハとの貿易などに金が要るだろう使えと持ってきてくれた時もあった。友人が居て頑張れた。