「11月にアㇺステルダムからの直行初便が新千歳空港に開通予定」との記事が7月初旬の日本の新聞に載った。その便にのせることが出来れば、石狩までマンモスの牙を運べるはずだ、準備に取り掛かる。
サハから帰国時、ペーチャ氏が別れ際に「モスクワに行ったら盗難に気を付けてください」と話していた。ロシアでは盗難は日常茶飯事と聞いていたので輸入輸送ルート設定する場合、シベリアから安全輸送確保が課題だった。サハに行きスピリドノフ社長を連れモスクワ大学地質学アレクサンドル教授と輸送の打合せを行う。サハで集めた牙は収集の日時を記録する。
モスクワ迄スピリドノフ社長が運ぶ。モスクワ大学で採取の日時を確認し原産地証明を用意する。それを持ち教授がアムステルダムまで運ぶ手続きを行い11月の初便に乗せる。新千歳で私が受取り間違いない事が確認されたら、マンモス牙輸入の必要経費とモスクワ大学には研究費と証明書発行の費用をドルで支払う。
予定通りオランダからの始発便でマンモス原木が10数本積まれていた。「新千歳にこれだけの荷が着いたのは初めてです。」と税関職員が言った。私も途中の紛失が無く安堵し支払いの手続きを開始した。
5年後サハの国立マンモス博物館館長に会い地下深くまでエレベーターで永久凍土に降りた。太古の匂いがした。視察を終え館長に「マンモスはヤクーツクに眠る貴重な財産です。いずれ温暖化で地上の形態も大きく変わるでしょう。マンモスを皆さんの力で守り続け下さい。」と話し研究費を寄附した。そして私はマンモスハンターも牙の輸入もやめた。アレクセーエフ大臣とスピリドノフ社長にも伝えた。貴重な古代からの遺産マンモスを個人がお金儲けに使ってはいけない。
今もマンモスの牙の印材と弓道用筈が残っています。
二コラエフ大統領も変わり閣僚も変わった。最後まで民族代表からはイヌワシ飼育の了承は聞けなかった。二つの神様の一つママントス(マンモス)輸出の反対は起きなかった。大黒屋光太夫から200年の時を過て、ロシアでの鷲飼育は私の見た幻、夢物語でした。