2023,8,24
札幌市手稲区の渓仁会病院で検査入院の手続きを終え病室のベッドに腰かけた。午後1番の検査です。午前中未だ時間が有りますのでレントゲンだけお願いします。
レントゲン検査を終え部屋に戻ると同室の方がコロナに感染しました。マスクをしてください。カーテンを閉め休んでください。5日間どなたとも席捲禁止です。5日後に再検査して何も無ければ通常に戻ります。またベッドに腰かけた。何もやることがない。
今日は82歳の誕生日だ。今までの気づいた事を書いておこう。弽師として弓道普及に努めた父末吉の事も書いておこう。
寺内家は山口県岩国の出で有った。明治に入り錦川の度重なる氾濫で一族郎党集まり今後を話し合った。本家は残り、ブラジルにハワイに北海道に旅立った。北海道組は明治18年4月石狩川の下流域高台の石狩高岡に入植した。
私寺内靖治の父、寺内末吉は明治41年3月14日姉二人兄家義4人兄末っ子として生まれた。末吉が生まれたわずか五日後、明治41年3月19日末吉の父伊太郎が不慮の事故で急逝した。末吉の母キヨは嘆く間もなく生活に開墾に追われた。山口から来た親戚も隣人もキヨを助けた。
末吉は石狩尋常高等小学校に入学した。4里半(6㎞)行き帰り14歳離れた姉のトキは末(末吉)の手を引いて歩いた。日曜日には草鞋7足を家族で編み、一足は予備として通った。冬には藁沓を穿き予備を背負い雪の中を歩いて通った。
石狩の吹雪は酷い。吹雪くと子供の足で通学するのは無理で、馬橇(馬そり)を出してくれることもあった。途中吹雪が酷くなると馬は身体中から湯気を出し前が見えなくても道を間違えなかった。朝から吹雪くと馬そりでも通学は無理だった。
春が来ると川にはウグイが溢れ銀鱗を躍らせた。川ガニも穴に手を入れれば幾らでもとれ、ヤウスバ(矢臼場:石狩川の河畔)のカーブにはデカいシジミが幾らでもとれた。フキ.ウド.ワラビ.山菜類は本町の漁師のおかみさん達に末吉の新鮮な山菜と上手に揃えた品は歓迎された。ニシンもテックイ(大きいヒラメ)も沢山いたが末吉には捕るのが難しかった。
末吉は自然に囲まれのびのび育った。