• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

                            2,023,8,25        

    小学校卒業を来春に控えた5年生の秋、末吉は母キヨに呼ばれ、末(末吉)は卒業したら東京に行き弽(ゆがけ)づくりの職人、弽師になると言われた。3月初め卒業式から帰ると家には姉トキと結婚したばかりの松本金義(後に武徳会教士七段)が来ていた。その晩アズキの塩アンでぼた餅を食べると次の朝早く3人は皆に見送られ石狩川を渡り東京にむかった。

    7日目に東京の巣鴨に着いた。

    松本金義の案内で弽師菅井利久(号正孝)師匠を訪ねた。利久師匠と叔父金義が話し合い末吉は弟子入りとなった。と言ってもカケが出来るかどうかも分からない無給見習い年期も不定である。弽作りに向いていれば本弟子にする。師匠は末吉に皆のやる事をよく見るように。木炭を使うので火の始末はきちんとするように。縫いが基本だからしっかり縫いを身に付けるようにしなさい。と話した。

    余計な事を言わない小柄な末はスエ、スエと奥様にも弟子達にも気に入られた。

    東京は人が多く速足で歩くのが苦手なスエはいつも留守番をして皆の帰りを待っていた。東京の夏は暑かった。寝茣蓙(ねござ)を敷いても汗が噴き出た。11月には酉の市が立ち、皆に誘われても留守番がよいと皆の帰りを待った。奥様はお駄賃と言ってスエにお小遣いを下さった。

    当時、弽師修行10年と言われていたが、スエは3年で縫いが普通に出来るようになった。弽縫いは全て絹糸で、力の入れ具合は均等が基本。1針でも弛むとそこから綻びになる。弽は鹿革を台革に大鹿は初心者用弽5個程度とれる。縫いも割と簡単。中鹿は弽3個程度。小鹿は上質の革で弽1個を予定し、手形合わせようにする。台革と控え革も同色がよい。革が小さく取れない場合は似た革を使う。四つカケの場合(添え指)も出来れば台革と同じ革だと尚良い。

    当時は鞣皮(無色白色)で染も注文者と弽師が相談し染専門者が仕上げる。

    利久師匠も忙しくなり手形合わせ特別注文と纏めは末吉に任されるようになった。末吉の発案で捻り革と腹革を一枚の皮で仕上げる。小手当てと縫いは難しいが耐久性が飛躍的に向上する。

    ドイツ人の手型が渡され、全て末吉に任せるので三日で仕上げるように言われた。

    ※弽(ゆがけ:弓具の一つ、手に装着して弓の弦を引くときに親指を守る弓道用グローブ)