イヌワシの「ハイ」と「レグ」
モンゴルイヌワシの保護活動を応援する「モンゴルイヌワシ協会日本本部」を大林会長と宮下副会長が設立した。事務所を江別の喫茶ビッグフォーレスト内に置き「石狩川イトウの会」の主要なメンバーも参加した。
モンゴル国のナーダムイヌワシ大会を盛り上げる為、優勝者にメダルを贈り、現地の天候異変ゾド(冬の厳冬と雪害)災害の発生時にお見舞金を2度に渡り送りました。更に喫茶ビックフォーレスト内で「モンゴル展」を開催し国際交流を盛り上げました。大林氏は北海道盲導犬協会にも長く応援され、石狩の石狩川河川敷地で犬橇大会を開催してくれました。
ウルギーに行きアタイさんに「大林氏にイヌワシをモンゴルから贈ることは可能でしょうか?」と伺い、一人の鷹匠さんと会いました。翌年、同じ鷹匠さんのゲルを訪れると二羽のイヌワシが用意されていました。
各ソム(村)での羽集めと飼育講習を終え、ウルギー県から北海道までの鷲輸送の準備に取り掛かった。ツバメドグ先生と鷹匠さんと私は鷲が暴れないように一羽ずつオムツのような布で固定し、ウルギー県から首都ウランバートル市まで運びました。CITESなど輸出に関する許可をお願いする。モンゴルでは丁度国会開催中で大統領に日本の大林氏に日本モンゴル友好の為二羽の鷲を贈呈するとの書類も提出し,深夜になりましたが許可が下りました。その間ツバメドグ先生は自宅にて、国際線に鷲を持ち込むための、鷲も周りの人間にもケガをさせない安全に輸送できる工夫した檻を2個製作しました。
ウルギーからは鷲をぐるぐる巻きにして赤ちゃん抱っこのように運びましたが、国際線ではいろいろな国の方が行き来します、動物虐待と誤解されないようにと、ツバメドグ先生からのアドバイスが有りました。日本に到着した際は成田空港の通関、動物検査で防疫検査があるので二羽は一旦成田にお預かりします。
成田空港の動物検査に「モンゴル国にて検査は全て済んでいます」と説明するが、「日本国内検査です、安全確認が済むまでは鷲をお渡しできません。」と担当者に言われた。私は「北海道の新千歳にこれから戻り自宅のある石狩に帰ります。」と言うと「モンゴルからの生きたイヌワシは初めてです。お預かりは可能です。」と担当者が言う。
私がエサ等イヌワシの扱い方を担当者に説明した「餌やりは200g~300gの牛肉です。二日に一回必要です。危険ですので手は近づけないでください。モンゴル国大統領から国際交流で特別の贈り物です。取り扱いは慎重に願います。」
担当者が交代したので3~40分待っていると「防疫も実施されていますのでこのままお待ちください。」と言われた。新千歳空港で二羽を受け取り、カート2台に乗せて出てくると皆が大きな檻を見て「鷲だ!」と騒いでいました。
新千歳からは親戚のハイエースに乗せて石狩に戻った。モンゴルからのトランクと鷲の檻で車内がいっぱいになった。自宅の石狩には深夜になったが無事到着した。牛ひき肉を500gずつお皿と共に鷲に与え休んだ。翌朝檻を見ると手も口も付けていない。ウルギーを出て飛行機内の排泄も考えて餌も与えていない。お皿ごと取り出そうと手を入れると鷲が鋭い爪で皿を押さえた。何かで読んだ鶴にスープを皿で出すと全く飲めなかったのを思い出した。300gの牛肉のブロック肉を買ってきてそのまま檻の中に入れると両手で押さえ込んで貪るように平らげた。
大林氏と一緒に北海道庁に鷲の飼育許可をお願いに上がった。「熊と同じ扱いになるので檻を用意してください。1.5㎝の鉄骨製で1本ずつの間隔も決まっています。」と言われました。
担当者に「イヌワシは猛獣ではないし、調教も済んでいるので石狩での鷹狩も予定しています。」と話すと「それだけは止めて下さい。檻が出来たらお知らせください。」とのことだった。「解りました、写真に撮って送ります」と伝えた。
ビッグフォーレストの地下に鷲の部屋を用意し、外に繋げる処は鉄骨で製作した。庭に二台のテーブルと止まり台を置いた。
「鷲は直ぐ止まって落ち着いている」
大林氏は止まり台にいるのでジュリアナのお立ち台にいるみたいだ、「ハイ」「レグ」と呼ぼうと決めた。
アルタイの大空を自由に飛翔してるはずが北海道で毎日自動車が行きかい騒音の中にいる。だけど三食昼寝付きで外敵も来ない。安心して自由を楽しんでください。
その後、ハイとレグは6歳になったので、本州に繁殖の為に行き、その後長生きしました。