• イヌワシの保護活動とワシ羽矢

    オイゲンヘリゲルの記事   

    1960年代新聞紙上にドイツの哲学者「オイゲンヘリゲル」が掲載された。父末吉は読み終え「帰国、敗戦と苦労しただろう」暫く言葉が途切れ「よく弓道を忘れないでいてくれた」松本金義と共に神奈川から全てを棄てて石狩に帰り、弓道に弽製作で再び参加出来た末吉自身とヘルゲルの多難だった哲学人生を偲んでいるように見えた。

    ヘルゲルと奥さんの弽で「腹革と捻り革」合体で丈夫な弽が完成した。「あの懸けは今も丈夫で修理が要らないだろう」と、もう縣師に戻って修理の事を話し始めた。私はドイツだからそれも大変でしょう」というと「それだから一生修理し無いで済むよう製作した」

    大戦に翻弄された哲学者でしたが「弓聖阿波研造との交流」は「武士道的な弓道とドイツ人哲学者」との交流として今日も語り継がれている。

    松本金義もその道を受け継いだ一人でした。