• イヌワシの保護活動とワシ羽矢
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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑫

    新町長が誕生し、石狩町が新旧和合の町創りを目指し石狩川のサケの町から石狩新港の町へと歩みだしました。 私は1966年の国際見本市に参加して以来、更に弓道の復活に専念した。和弓矢製造工場設置の話し合いも天津市の呂志乾先生( …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑪

    有難く得難い友人Kさん  祖先が岩国市出身のKさんは私の一歳年上、若い時に上京し印刷技術を修得し、石狩町樽川地区に戻りました。私が町議を一期で止め、町長選に出馬の為花川に居を借りて準備をしていると作業服を着たKさんが訪ね …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑩

    古瑞渓の硯 1979年11月、中国の天津市を訪問した。天津市の羽球工場内に日本弓道の矢羽製作工場設立の仮契約を行うためです。仮契約は予定通り締結した。工場敷地内に仮設した弓道場と天安門広場、そして万里の長城の三か所で弓道 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑨

    石狩町議会議長から私に町長から大事な相談があると呼ばれた。懸案の石狩新港の予算が付いた。議長が長かった今回の機会を逃したら石狩町は永久に港は出来ない、最後のチャンスだ全てうまく運んだ。町長と議長が寺内君了解してくれるな、 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑧

    中国訪問鷲羽根輸入 広州交易会 2023,10,16記 日中友好協会会員になった私に広州交易会の案内が来た。1966年5月初めての国際見本市商談会に参加する。広州はまだ暑く季節の変わり目で、天候も悪いと聞く。薬を用意し成 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑦

    静岡萩原正澄師訪問  父末吉に公害調査で静岡に行くと話した。「萩原正澄さんに会えたらよろしくお伝えください。」と父が言づけた。 富士市の公害状況視察を終え焼津にまわり萩原正澄師匠を訪ねる。突然の訪問でしたが、父の名前と意 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑥

    私が当選の日、父が石狩町教育委員を辞任しました。これからは若い人の時代です。議会傍聴に漁師の小保内さんが一人でいつも来ていました。休憩中「寺内こっちさ来い」「昔はなあ、サケもニシンもカレイも沢山穫れた。今は海も川も汚れ時 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道⑤

    私靖治は札幌西高で弓道部を創り、卒業し石狩に帰ると4月に石狩高岡で小さい弓具店をスタートさせました。その後、一年間働き学費を貯めて明大に入学した。高岡に来て弽を製作していた佑正さんと一緒に上京した。東京杉区青梅街道沿いに …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道④

    一週間後、叔父松本金義と姉トキが来ました。 これは末吉が作ったた。もう教える事は何も無い。何処でも自由に店を出して良い。弟子達にスエが望むなら私も皆も応援を惜しまない。 11月末金義夫婦が来て横須賀は如何でしょう。古い家 …

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    渓仁会日誌~石狩と弓道③

    末吉は四つ弽、濃い青、雲南毛長、帽子、添え指、チー(弽紐を通す部品)も全て同じ革から取れる最上級の革を用意した。午前中に裁断、午後から縫いに入る。半分進んだ段階で膝の上に白いサラシをひき、その上に弽を置き替え縫い始める。 …

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